【知らなかった】日記とジャーナリングは何が違うのか/書く目的が変わると得られる効果まで変わる理由

日記もジャーナリングも、結局ノートに書くことですよね。何が違うのかよく分からないまま日記を始めてみたんですけど、三日で止まってしまいました。書けば変わると聞いたのに、何も変わっていない気がします。

日記とジャーナリングは、まったく別の行為です。使う道具はどちらもノートとペンで、かかる時間も同じ10分。それなのに、続けた3ヶ月後に手元に残るものがはっきり違います。あなたは、なぜ書くのかを決めてから書き始めたことがあるでしょうか。私は長いあいだ、その問いを持たないまま手帳に文字を並べていました。だから何年書いても、書いた量のわりに自分のことが分からないままだったんです。

この記事では、日記とジャーナリングの違いを目的の側から整理して、なぜ片方は続かず、もう片方は思考を変えていくのかを順番に説明していきます。どちらが優れているという話ではありません。場面によって使い分けるものです。最後に、今夜から始められる3つの手順まで渡します。

この記事でわかること

  • 日記とジャーナリングの決定的な違いが「目的」にあると整理してわかる
  • 書く目的を決めるだけで、同じ10分から得られるものが変わる理由
  • ジャーナリングを今夜から始めるための3ステップと、つまずきどころ
目次

日記とジャーナリングは、そもそも「書く目的」が違う

まず言葉の意味をはっきりさせておきます。この2つを分けているのは、書き方でも文章量でもありません。何のために書くのか、という目的そのものです。

日記は、起きたことを残すために書きます。今日どこへ行って、誰と会って、何を食べたか。時間が経ってから読み返せるように、出来事を保存しておく行為です。だから主語は「出来事」になります。

ジャーナリングとは?

頭の中にある考えや感情を、そのまま紙の上に書き出して見えるようにする行為のこと。出来事を残すことが目的ではなく、自分が何を考えているのかを自分で確認することが目的になる。文章として整っている必要はなく、途中で終わっていても構わない。書き終えたときに「自分はこう思っていたのか」と気づけていれば、それで役割を果たしている。

つまり日記は記録、ジャーナリングは思考の可視化です。同じノートを開いていても、向いている方向が正反対なんです。日記は過去を向いていて、ジャーナリングは今の自分の内側を向いています。

日記(記録するための書き方)

何が起きたかを残す。読み返す前提で書く。事実が中心で、感情は添えものになりやすい。書き終えても発見は起きにくい

ジャーナリング(考えるための書き方)

何を感じたかを掘り下げる。読み返さなくてもいい。感情と理由が中心で、事実は入口にすぎない。書いている途中で気づきが起きる

この違いを知らないまま「書くと人生が変わる」という言葉だけを受け取ると、日記を書いて何も変わらなかった、という結論になります。それは当然で、記録には記録の役割しかないからです。変化を期待する場所が最初からずれていたんです。

そもそも、なぜこの2つが同じものとして扱われてしまうのか。理由は簡単で、外から見た動作がまったく同じだからです。ノートを開いて、ペンを持って、文字を書く。傍から見れば区別がつきません。区別がついているのは書いている本人の頭の中だけで、そこに何を置いているかが違うんです。料理でいえば、包丁を持っている姿は同じでも、下ごしらえをしているのか盛り付けをしているのかで工程がまったく違うのと似ています。

もうひとつ補足しておくと、この2つは対立するものではありません。私は今、両方を別のノートで使い分けています。事実を残したい日は日記、判断に迷った日はジャーナリング。目的が違うのだから、道具も分けたほうが自然なんです。

日記が続かない人の多くは、書く理由を持っていない

次に、多くの人がつまずくところに入ります。日記が続かない理由を「意志が弱いから」で片づけている人が本当に多いんですが、原因はもっと手前にあります。

私自身がそうでした。会社員として11年働いていたころ、手帳には予定と出来事だけを書いていました。何時に出勤して、誰と打ち合わせをして、何が終わったか。几帳面に埋めていたので、自分では続いているつもりだったんです。ところが1年後に読み返しても、そこにはその日の自分が何を考えていたのかが一行も残っていない。文字はぎっしりあるのに、中身が空っぽでした。

なぜ日記は途中で止まってしまうのか

①書く目的がないため、忙しい日に真っ先に削られる。優先順位をつける基準がないので、後回しが一度でも起きると戻れなくなる

②出来事しか書かないため、書き終えても手応えがない。手応えのない行動は、脳が続ける理由を見つけられない

③「毎日書かなければいけない」という前提を勝手に足してしまい、一日空けた時点で失敗したと感じて手が止まる

3つ目は特に多いです。日記という言葉には毎日というイメージがくっついていて、それが自分でつくった約束のようになる。一日飛ばすと約束を破ったことになって、気まずくなってノートを閉じる。私にも覚えがあります。

でも考えてみると、毎日書かなければいけない理由はどこにもありません。それはただの習慣の型であって、目的ではないんです。目的がある人は、書く必要がある日に書きます。書く必要がなかった日は、書かなくても失敗になりません。

続かなかったのは、あなたの意志の問題じゃないと思いますよ。書く理由を決めないまま始めたからです。それなら、決めるところからやり直せばいいだけです。

もっと言うと、書く理由は立派である必要がまったくありません。「モヤモヤしているから、何にモヤモヤしているか知りたい」で十分です。私の場合、ペンション経営を始めてから毎日のように判断を迫られるようになって、決めきれない日にノートを開くようになりました。それが、記録から思考へ書き方が変わった入口でした。

ジャーナリングが思考を整理してくれる仕組み

では、なぜ書き出すだけで頭が整理されるのか。ここには理由があります。感覚的な話ではありません。

1
見えないものを見える形に変えている
頭の中の考えは、言葉になる前の状態で漂っている。それを紙に置くと、はじめて輪郭ができて扱える対象になる。悩みが減るのではなく、悩みの形が分かるようになる
2
考えている自分と、書いている自分が分かれる
書いた瞬間、その考えは自分の外側に出る。外に出たものは、他人の意見と同じように眺められる。距離ができるから、冷静に判断できる
3
量が有限だと分かる
頭の中では悩みが無限に増えていくように感じるが、書き出すと5個か6個で止まることが多い。数が確定するだけで、抱えている重さは軽くなる

3つ目は、実際にやってみると一番驚くところです。私も最初は10ページくらい書くことがあるだろうと思っていました。実際に書き出してみたら、悩みは6つしかなかった。しかもそのうち4つは、自分ではどうにもできない他人の問題でした。頭の中で何日も回っていたものの正体が、たった6行だったわけです。

このとき起きているのは、問題が解決したわけではありません。問題の大きさが正しく測れるようになっただけです。それでも、人は測れるものに対しては動けます。測れないものに対してだけ、動けなくなるんです。

日記ではこれが起きません。出来事を書いているとき、頭の中で回っている考えは対象になっていないからです。書くという行為が同じでも、狙っている場所が違えば、結果も変わります。

確かに、悩んでいる時間は長いのに、何に悩んでいるのかを説明しろと言われると答えられません。それだけ曖昧なまま抱えていたということですよね。

同じ10分でも、目的が変われば残るものが変わる

ここまでを踏まえて、実際にどれくらい違いが出るのかを見ていきます。使う時間は同じ10分、使う道具も同じノートです。

Before(日記として書いた10分)

今日は打ち合わせが長引いて疲れた、と一行。あとは食べたものと天気。読み返すと「そんな日もあったな」で終わる。半年後、その日の自分が何に引っかかっていたのかは思い出せない

After(ジャーナリングとして書いた10分)

なぜ疲れたのかを掘る。長引いたことではなく、意見を言えなかったことが引っかかっていたと気づく。次に同じ場面が来たときに、何を言いたかったのかまで書き出せている

差が出ているのは文章力ではありません。問いの立て方です。日記は「何があったか」を問い、ジャーナリングは「なぜそう感じたか」を問う。問いが変われば、出てくる答えの階層が変わります。

これは仕事でも同じことが言えます。うまくいかなかった日に、何が起きたかだけを振り返る人と、なぜそう判断したのかまで振り返る人がいる。前者は次も同じ判断をしますが、後者は判断の基準そのものを見直せます。改善が起きない振り返りは、記録でしかないんです。

だから私は、ノートに向かう前に一度だけ自分に確認するようになりました。今日は残したいのか、それとも考えたいのか。この一問だけで、その10分の使い道が決まります。時間を増やす必要はありません。向ける方向を決めるだけです。

この記事の核心

書く時間の長さは、得られるものをほとんど左右しません。決めるべきは長さではなく、何のために書くのかという目的のほうです。

場面によって使い分けると、書くことが続きやすくなる

では、どちらを選べばいいのか。答えは、その日の状態によって変わります。決めておくと迷わなくなるので、私が使っている基準を出しておきます。

記録したい日
旅行・イベント・子どもの成長など、事実を残しておきたい日は日記でいい。掘り下げる必要はない
判断に迷った日
決めきれないことがある日はジャーナリング。選択肢と、それぞれを選びたくない理由まで書き出す
感情が動いた日
強く落ち込んだ日・腹が立った日はジャーナリング。感情そのものではなく、その裏にある期待を探す

この3つに分けておくと、ノートを開いた瞬間に迷いません。迷いがなくなると、続きます。習慣が途切れる原因の多くは、やる気ではなく判断の手間だからです。何をどう書くかを毎回考えているうちは、書き始めるまでにエネルギーを使ってしまいます。

私の場合、日記は手帳の余白に一行だけ、ジャーナリングは別のノートに10分と決めています。分けている理由は単純で、混ぜると記録のほうに引っ張られるからです。事実を書き始めると流れができて、掘り下げる作業に戻れなくなる。同じページに同居させないほうが、どちらも生きます。

💡 補足

書く道具は紙でもスマホでも構いません。ただ、ジャーナリングに関しては手書きのほうが向いていると感じています。速く書けない分だけ、書きながら考える時間が生まれるからです。速さが目的ではない作業では、遅さが役に立つことがあります。

道具の話は本質ではないので、こだわりすぎないでください。大事なのは、開く前に目的が決まっていることだけです。

ジャーナリングを今夜から始める3つのステップ

具体的な始め方に入ります。準備するものはノートとペンだけで、時間は10分あれば足ります。

01
問いを1つ決める「今いちばん引っかかっていることは何か」でいい。書き始める前に決めておく
↓
02
止めずに10分書く文章にしなくていい。単語でも、途中で切れていても構わない。手を止めないことだけ守る
↓
03
最後に一行だけまとめる書いたものを見て「つまり自分は何を感じていたのか」を一行にする。ここまでで完了

03が一番大事です。書きっぱなしにすると、その日のうちに流れていってしまいます。一行にまとめる作業をはさむと、気づきが自分の言葉として残る。読み返さなくていいと書きましたが、それはこの一行を書いているからです。

02で手を止めないというのは、上手く書こうとしないという意味です。整った文章を書こうとした瞬間、頭は「他人が読んでも恥ずかしくない自分」を演じ始めます。そうなると本音は出てきません。誰にも見せない前提だからこそ、書けるものがあります。

⚠️ 注意してほしいこと

ジャーナリングを「前向きな言葉を書く習慣」にしないでください。ネガティブな内容を書いてはいけないと思った瞬間、自分の本音に蓋をすることになります。書き出す目的は気分を良くすることではなく、今の自分を正確に知ることです。落ち込んでいる日は、落ち込んでいると書いていい。そこからしか始まりません。

始める日は、調子のいい日でなくて構いません。むしろモヤモヤしている日のほうが向いています。書く材料がそろっているからです。

今日一日で結論を出す必要はありませんよ。10分だけ手を動かして、一行残す。それを何回か繰り返したころに、自分の考え方のパターンが見えてきます。

書き続けた先に、私の判断がどう変わったか

最後に、実際に続けた先で何が起きたかを話しておきます。効果を保証したいわけではなくて、変化の起き方を知っておくと途中でやめずに済むからです。

📝 WAKAの体験談

ペンションを継ぐと決めてからの数年間、私は判断に迷った日だけノートを開くようにしていました。最初のころは、書いても答えは出ません。ただ、3ヶ月ほど続けたある日、自分が同じことで何度も迷っていることに気づきました。人にどう思われるか、という一点です。仕入れを変えるかどうか、料金をどうするか、テーマはまったく違うのに、迷う理由はいつも同じでした。それを見つけたとき、迷いの数が急に減りました。問題が10個あると思っていたのに、実際には1つの思考のパターンが10回顔を出していただけだったんです。

これは、日記を書いていた11年間では一度も起きませんでした。出来事を並べているだけでは、自分のパターンは浮かび上がってこないからです。パターンは、考えを言葉にしたときにだけ見えてきます。

もうひとつ変わったのは、決めるまでの速さです。以前は、迷っていること自体が苦しくて、決めないまま時間だけ過ぎていました。今は迷った時点でノートに向かうので、迷いが行動に変わるまでの時間が短くなりました。迷わなくなったわけではありません。迷いの扱い方が決まった、というほうが正確です。

変化の起き方についても、先に伝えておきたいことがあります。ジャーナリングは、書いた翌日に何かが変わるものではありません。1回書いても、たいていは「よく分からなかった」で終わります。それでいいんです。変化が起きるのは、書いたものが数回分たまって、そこに同じ言葉が繰り返し出てきていると気づいたときです。1回分の紙には何も写っていなくても、重ねると輪郭が浮かぶ。そういう性質のものだと思って始めると、途中でやめずに済みます。

そして、書いた内容の8割は今も読み返していません。それでいいと思っています。読み返すために書いているのではなく、書いている最中に考えるために書いているからです。ここを勘違いすると、また記録の世界に戻ってしまいます。

今週、いくつ試せそうですか?

□ 書く前に目的を決める → 残したいのか、考えたいのかを一問だけ確認する
□ 日記とジャーナリングのノートを分ける → 混ぜると記録側に引っ張られる
□ 問いを1つ決めてから書き始める → 「今いちばん引っかかっていることは何か」でいい
□ 10分間、手を止めずに書く → 整った文章にしようとしない
□ 最後に一行だけまとめる → つまり自分は何を感じていたのか
□ 毎日書くという前提を外す → 書く必要がある日に書けば十分

まとめ|書く目的を決めるだけで、同じ10分の価値が変わる

日記とジャーナリングを分けているのは、文章力でも量でもなく目的でした。日記は出来事を残す記録、ジャーナリングは考えを見えるようにする作業です。続かなかったのは意志が弱いからではなく、書く理由を決めないまま始めたからでした。問いを1つ決めて10分書き、最後に一行だけまとめる。それだけで、頭の中で無限に見えていた悩みに輪郭ができます。測れるようになったものに対して、人は動けます。今夜、ノートを開く前に一問だけ確認してみてください。

今日は残したいのか、考えたいのか。決めてから開けば、その10分は必ず何かを残します。

私は11年かけて記録だけを積み上げてしまいました。あなたは、今日から目的を決めて始められます。その差は、思っているより大きいですよ。

書いて自分を整える方法を、もう少し深く知りたい方へ

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