
子どもに「お父さんみたいになりたい」って言われたとき、正直、素直に喜べなかったんです。今の自分の生き方に、胸を張れる気がしなくて
子どもに恥ずかしくない生き方をしたい。そう強く願っている人ほど、いまの自分を見て落ち込みます。私もそうでした。ではなぜ、真剣に考えている人ほど自己嫌悪におちいるのでしょうか。それは「恥ずかしくない生き方」を、立派な肩書きや収入のことだと勘違いしているからなんです。
私は約11年勤めた某鉄道会社を辞め、フレンチレストランでの修行を経て、岐阜の山奥でペンションを継ぎました。傍から見れば安定を捨てた無謀な人間です。それでも私が子どもの前でいちばん恥ずかしかったのは、会社を辞めた日ではありませんでした。この記事では、子どもに恥ずかしくない生き方とは具体的に何なのか、そして大人になった今だからこそ問い直しておきたいことを、私自身の体験を交えて全部お話しします。
この記事でわかること
- 「子どもに恥ずかしくない生き方」の本当の意味がわかる
- 子どもが本当に見ているものと、親が気にしているもののズレ
- 立派になろうとせずに自分の生き方を整えていく具体的な手順
「子どもに恥ずかしくない生き方」がずっと引っかかり続ける理由
この言葉が心に引っかかるのは、それが自分への問いだからです。他人からの評価であれば、気にしなければいい、で済ませられます。でもこの問いだけは逃げられません。子どもは、自分がいちばん大切にしているものだからです。
多くの人はこの問いを「収入」や「肩書き」の話だと受け取ります。もっと稼げる自分になれば胸を張れる、もっと立派な職業に就いていれば説明できる、そう考えるんです。私も長いあいだそう思っていました。大きな会社にいるあいだは、少なくとも子どもに説明できるものを持っていると信じていました。
でも実際に会社を辞めてみて、はっきりわかったことがあります。子どもは親の肩書きにも年収にも、驚くほど興味がありません。うちの子が私の勤務先を気にしたことなど一度もありませんでした。子どもが見ているのは、もっと近くて、もっと生々しいものです。
子どもに恥ずかしくない生き方とは?
社会的に立派であることではありません。自分が口にしていることと、実際にやっていることが一致している状態のことです。
・稼いでいるかどうかではなく、真剣にやっているかどうか
・成功しているかどうかではなく、逃げていないかどうか
・正しいことを言えるかどうかではなく、自分がそれをやっているかどうか
つまりこの問いは、達成の問題ではなく一貫性の問題なんです。だから収入が増えても解決しないし、逆に収入が少なくても解決することがあります。ここを取り違えているうちは、どれだけ頑張っても自己嫌悪は消えません。問いの立て方さえ変えれば、今日から答えを出しにいけるテーマになるんです。
そしてもうひとつ大事なことがあります。この問いに引っかかっているという事実そのものが、悪いものではないということです。何も感じていない人は、そもそも自分を振り返りません。引っかかっているということは、あなたの中に「こうありたい」という基準がすでにあるということなんです。
子どもは親の言葉ではなく背中を見ている
親の言葉が子どもに届かないのは、伝え方が下手だからではありません。言葉と行動が食い違っているのを、子どもが正確に見抜いているからです。
私はこれを、自分の子どもを通してではなく、自分自身を通して知りました。私は団地育ちで、母が一人で私と弟を育ててくれました。母から「勉強しなさい」と何度も言われましたが、正直、その言葉自体はほとんど記憶に残っていません。代わりに残っているのは、朝早く出ていって夜遅く帰ってくる母の姿だけです。私が「楽してうまくいくわけがない」と自然に思うようになったのは、そう教わったからではなく、そういう人を毎日見ていたからでした。
なぜ親の言うことは子どもに届かないのか
①親が「言うだけの人」になっている。挑戦しろと言いながら、自分は何年も同じ場所にとどまっている
②失敗している姿を隠している。うまくいった話しかしないので、子どもは失敗を「してはいけないこと」として学ぶ
③本音を言わない。疲れている、迷っている、という感情を隠すので、子どもは「大人は迷わない」と誤解する
④親自身が自分の人生を諦めている。諦めた大人が語る夢の話には、どうしても熱がこもらない



でも、子どもの前で弱っているところなんて見せられないですよ。親として頼りないと思われそうで
その気持ちはよくわかります。でも実際は逆なんです。完璧な親を演じるほど、子どもは自分の弱さを言えなくなります。親が悩まない人間として振る舞えば、子どもは悩むこと自体が異常だと思ってしまうからです。
私は会社員時代、まさにこれをやっていました。仕事は誰にも負けないつもりでやっていましたが、上司とはうまくいかず、望まない異動を繰り返していました。素直になれない弱さが自分にあることには気づいていたのに、それを認めることができなかったんです。強がりで隠して、家では何事もない顔をしていました。いま振り返れば、あの時期の私がいちばん「子どもに恥ずかしい自分」だったと思います。会社を辞めたことではなく、自分の弱さから目をそらし続けていたことのほうが、よほど恥ずかしかったんです。
大企業を辞めた日ではなく、寝顔を見た夜に救われた
ここからは、私がこの問いに対する答えを見つけた時期の話をさせてください。私にとって人生でいちばんつらかった2年間の話です。
料理教室に通ううちにカフェをやりたいという思いが強くなり、ちょうどその頃、奥さんの実家のペンションを継ぐという話が持ち上がりました。話し合いの末に継ぐことを決め、料理教室の先生のつてでフレンチレストランに就職し、11年勤めた会社を辞めました。大企業を辞めると言ったとき、周囲はかなり驚いていました。
📝 WAKAの体験談
就職したのはキャパ40人ほどのカジュアルフレンチでした。厨房は4人とアルバイトが1人。マヨネーズまで一から手作りする店です。
・出勤は朝10時、終わるのは深夜2時。忙しい日は朝の4時、5時までかかりました
・休みは月に6日だけ。体重は5〜6kg落ちて、陸上をやっていた頃より痩せました
・年齢は下でも技術は上、という人ばかりの環境で、毎日ゼロから覚え直しでした
そしてこの時期に、うちの子が生まれました。深夜に帰宅して、寝ている顔を見る。それだけで、その日の疲れが本当に一気に飛んでいったんです。
不思議なもので、体力的にはいちばん削られていたこの時期に、子どもに対する後ろめたさがいちばん薄かったんです。給料は下がり、家にいる時間は激減し、世間的な立場も失いました。それでも後ろめたくなかった。理由はあとになってわかりました。このときの私は、言っていることとやっていることが完全に一致していたからです。
会社にいた頃、私は仕事をなめていました。ぬるま湯につかりながら、口では現状に不満を言っていた。厨房ではそれが一切通用しません。手を抜けば料理が出ない。言い訳の余地がゼロの場所で、私は初めて全力を出しました。



子どもに胸を張れるかどうかは、何を成し遂げたかじゃないんですよね。いま自分が、逃げずに立っているかどうかだけなんです
恥ずかしさの正体は「他人の目」ではなく「自分との不一致」
私たちが「子どもに恥ずかしい」と感じるとき、実は他人の目を借りて自分を裁いています。よその家と比べて、平均と比べて、SNSで見た誰かと比べて、自分を採点しているんです。
でも本当の恥ずかしさは、比較からは生まれません。生まれるのは、自分が決めたことを自分で守れなかったときです。今年こそやると決めたのに手をつけなかった。子どもには挑戦しろと言ったのに、自分は何も始めなかった。この不一致だけが、じわじわと自分を削っていきます。
他人と比べたときの恥ずかしさ
・収入が平均より低い、役職がない、家が狭い
・比べる相手が変われば強さも変わる、一時的なもの
・お金や状況が変われば消えるが、また別の比較対象が現れる
・解消しようとするほど他人軸の人生になっていく
自分と比べたときの恥ずかしさ
・言ったことをやらなかった、逃げた、目をそらした
・誰にも見られていなくても消えない、根の深いもの
・お金では絶対に消えない。行動でしか消えない
・解消していくほど、自分の軸が太くなっていく
比べてみると、私たちが本当に向き合うべきなのは後者だけだとわかります。前者をどれだけ解消しても、後者は一ミリも減りません。だから収入が増えても自己嫌悪が消えない人がいるんです。
私は会社を辞めるまで、この2つをずっと混同していました。安定した会社にいるという事実で、自分への言い訳を成立させていたんです。でも心のどこかでは知っていました。自分は本気を出していないと。子どもに恥ずかしいと感じていたのは、収入でも肩書きでもなく、その一点だったんです。
ここに気づけると、話がすごくシンプルになります。やることは、他人に勝つことではありません。自分が自分に約束したことを、ひとつずつ守っていくことだけです。
立派な親になる必要はない。見せるべきは完成形ではなく途中経過
では具体的にどうすればいいのか。結論から言うと、立派な自分を完成させてから子どもの前に立とうとするのをやめることです。それをやろうとすると、一生その日は来ません。
子どもが受け取っているのは結果ではなく、姿勢です。うまくいっている親を見て安心するのではなく、うまくいっていなくても向き合っている親を見て、「この人は逃げない人だ」と学びます。むしろ完成形しか見せない親のもとでは、子どもは失敗を極端に恐れる大人になっていきます。
子どもに見せていい「途中経過」の3つ
①うまくいかなかったことを言葉にする。「今日はダメだった、でも明日やり方を変えてみる」と口に出すだけで、失敗が終わりではないことが伝わる
②やると決めたことを続けている姿を見せる。内容は何でもいい。読書でも運動でも、続いている事実そのものに意味がある
③迷っている過程を隠さない。「いま迷ってる、だから調べてる」という姿は、考えて決める人の姿として残る
私が会社を辞めたときも、子どもに立派な説明はできませんでした。将来こうなるという保証は何もなかったからです。言えたのは「やってみたいことがあるからやる」ということだけでした。それでも十分だったと、今は思います。



親が完璧である必要はまったくないんです。必要なのは、自分の人生を自分で動かしている姿を、そのまま見せることだけなんですよ
そしてこれは、子どものためだけの話ではありません。自分の生き方を整えていくことは、そのまま自分自身が楽になることでもあります。言葉と行動が揃った人は、誰の前でも同じ顔でいられるからです。
子どもの前で気をつけたい3つの口ぐせ
日々の中でいちばん子どもに影響を与えているのは、大きな決断ではなく、何気ない口ぐせです。ここは意識するだけで変えられるので、具体的に挙げておきます。
3つとも、私が実際に使っていた言葉です。特に「どうせ無理」は要注意です。私自身、会社にいた頃はこの言葉を心の中で毎日使っていました。やりたいことがあっても、どうせ無理だと自分に言い聞かせて閉じていたんです。
⚠️ 注意してほしいこと
口ぐせを我慢して隠すことが目的ではありません。無理に前向きな言葉を使っても、本心が違えば子どもには伝わります。大事なのは、言葉を変えることで自分の思考のクセ自体を変えにいくこと。順番は「言葉→思考→行動」で構いません。
言葉は思考を作り、思考は行動を作ります。だから口ぐせを変えることは、生き方を変える入口として、いちばん手軽で効果が大きい方法なんです。しかもこれは、今日この瞬間から始められます。
「子どもの頃の自分」も、実は見ている
もうひとつ、忘れがちな視点があります。私たちが恥ずかしさを感じている相手は、目の前の子どもだけではないということです。
私は小学校の卒業文集に「オリンピック選手になりたい」と書きました。本気でした。中学から陸上を始めて、高校は陸上推薦で名門校に進み、社会人になってからも走り続けました。結局その夢は叶わず、実力の差を思い知らされたところで、私の中で何かがぼっきり折れて終わりました。
長いあいだ、この文集のことを思い出すのが嫌でした。叶わなかった夢を書いた自分が、恥ずかしかったからです。でもある時期から、受け取り方が変わりました。恥ずかしいのは夢が叶わなかったことではなく、あの頃みたいに本気になれていない今の自分のほうだと気づいたんです。
問われているのは、まだ本気でいられているかどうか
子どもに恥ずかしくない生き方とは、子どもの頃の自分に説明できる生き方のことでもあります。何者になったかではなく、いまも本気でいられているかどうか。問われているのは、そこだけです。
この視点を持つと、判断が一気にシンプルになります。迷ったときに「これは子どもの頃の自分が見たらどう思うか」と考えてみるんです。すると、周りに合わせるための選択なのか、自分がやりたい選択なのかが、驚くほどはっきり分かれます。
大人になると、正しさや効率で物事を決めるようになります。それは必要な力です。でもそればかりになると、何のためにやっているのかが自分でもわからなくなっていく。子どもの頃の自分は、その基準を思い出させてくれる存在なんです。
今日からできる、自分の生き方を問い直す小さな習慣
最後に、実際にどう始めればいいかをお伝えします。特別なことは何もいりません。順番だけ守ってください。
この4ステップで大事なのは、02の「1つ選ぶ」です。真面目な人ほど全部を直そうとして、結果的に何も変わらないまま自己嫌悪だけが増えていきます。変化は面ではなく点から起きます。
私自身、いまも完成してはいません。やりたいことは明確で、できる力もあるという感覚はあるのに、時間もお金もまだ足りていない。焦りもあります。それでも、子どもに恥ずかしいとは思わなくなりました。理由はひとつで、いま自分が本気でやっているからです。
続けていると、ある日ふと気づきます。子どもにどう見られるかを気にして始めたはずなのに、いつのまにか自分が納得できる毎日になっていることに。子どものために生きることと、自分のために生きることは、対立しません。むしろ同じ方向を向いていきます。
子どもに恥ずかしくない生き方チェック、いくつできそうですか?
まとめ
子どもに恥ずかしくない生き方とは、立派になることではありませんでした。言っていることとやっていることが一致している状態のことです。だから収入や肩書きでは解決しません。私が人生でいちばん恥ずかしかったのは、会社を辞めた日ではなく、弱さから目をそらして強がっていた時期でした。
子どもは親の言葉ではなく背中を見ています。見せるべきは完成形ではなく、逃げずに向き合っている途中経過です。変えるのは口ぐせと、明日やる行動を1つだけ。それで十分に伝わります。



今日決めた小さな1つを、まず1週間だけ続けてみてください。その積み重ねが、そのまま子どもに残していけるものになりますよ









