【嘘だった】自由人と不自由人を分けるのはお金でも才能でもない/本当の違いは選択肢を作れるかどうか

自由に生きている人を見ると、結局はお金があるか、特別な才能があるかのどちらかに見えてしまうんです。自分にはどちらもないので、最初から無理な気がしています。

自由か不自由かは、持っているもので決まっていません。あなたのまわりに、収入は多いのに毎日追われている人と、収入は普通なのに機嫌よく生きている人が、両方いないでしょうか。もしお金や才能が自由の条件なら、こんなことは起きないはずなんです。それでも私たちは「お金があれば」「才能があれば」と言い続けてしまいます。理由は簡単で、そう言っているあいだは今の自分を変えなくて済むからです。

私自身、長いこと同じことを考えていました。会社員だった頃は「収入が増えれば自由になれる」と本気で思っていましたし、うまくやっている人を見れば「あの人には才能があるから」と片づけていました。でも実際に会社を辞めて、自分で決める側に回ったとき、自由を邪魔していたのはお金でも才能でもなかったと気づかされたんです。この記事では、自由人と不自由人を分けている本当の違いはどこにあるのか、そしてその違いを今日からどう埋めていけるのかを、私自身の失敗も含めて最後まで話していきます。

この記事でわかること

  • 「お金があれば自由になれる」という考えが外れている理由
  • 不自由な人が無意識にやっている3つのこと
  • 選択肢を自分で作れるようになるための具体的な手順
目次

自由をお金や才能の問題にしている限り、いつまでも不自由なまま

まず、いちばん最初に外しておきたい思い込みがあります。「条件が揃えば自由になれる」という考え方です。

この考え方には、一見すると筋が通っているように見える怖さがあります。実際、お金があれば選べる範囲は広がりますし、才能があれば近道もできます。だからこそ、誰もこの前提を疑いません。ところが現実には、お金を手に入れたのに前より窮屈になった人がいます。才能を認められたのに、その才能に縛られて身動きが取れなくなった人もいます。条件が揃っても自由になれない人がいる時点で、条件は自由の正体ではないということなんです。

自由人・不自由人とは?

ここで言う自由人とは、お金や時間がたっぷりある人のことではありません。自分の一日の中身を、自分の意思で決められている人のことです。逆に不自由人とは、自分の一日の中身が、他人や状況の都合で埋まっていく人のことを指します。この定義で見ると、収入の多い少ないはほとんど関係がなくなります。年収が高くても、予定のすべてが他人からの依頼で埋まっていれば不自由です。収入が並でも、自分で決めた予定で一日が構成されていれば自由です。つまり自由とは、量ではなく主導権の話なんです。

主導権という言葉で捉え直すと、話が一気にはっきりしてきます。お金は主導権を買いやすくする道具です。才能も主導権を取りやすくする道具です。でもどちらも道具でしかないので、使い方を知らない人が持っても、主導権は増えません。

私はこれを、条件のせいにしているあいだは自分を変えなくて済む状態だと考えています。「お金がないから」「才能がないから」と言っているとき、私たちは正しいことを言っているつもりでいます。実際、間違ってはいません。でも同時に、その言葉は「だから今は動かなくていい」という許可証にもなっています。だからこの言葉は手放しにくいんです。

もうひとつ厄介なのは、条件を言い訳にする癖がついてしまうと、条件が揃ったときにも動けないということです。お金ができたらできたで「今は時期が悪い」と言い、時間ができたら「もう年齢的に遅い」と言う。条件は、探そうと思えばいくらでも見つかります。足りないものを数える癖がついている限り、何を手に入れても足りないままなんです。

陸上をやめた日、私は自由になったはずなのに一歩も動けなかった

ここで、自分の話をさせてください。私は中学から数えて8年間、陸上競技をやっていました。小学校の卒業文集には「オリンピック選手になりたい」と書いています。冗談ではなく、本気でした。

小学校のマラソン大会でたまたま優勝したことをきっかけに陸上を始めて、中学で最初の大会に惨敗して火がつき、自主練を重ねて県内では名前を知られるところまでいきました。陸上推薦でインターハイ輩出校に進学し、高校では毎日4キロ走って通学して、朝練をして、放課後も練習して、それでも足りずにプールにも通っていました。生活のすべてが陸上でできていたと言っていいと思います。

📝 WAKAの体験談

社会人になってからも会社の部活で走り続けて、ニューイヤー駅伝を目指して関東の予選会に出ました。そこで箱根やオリンピックを狙うレベルの選手たちと一緒に走って、はっきり分かってしまったんです。この人たちには届かない、と。心がぼっきり折れて、そこで引退を決めました。子供の頃から握りしめていた夢が終わった瞬間です。そのとき私が感じたのは、意外なことに解放感ではありませんでした。8年以上ずっと埋まっていた朝と夕方が、いきなり空白になった。誰にも走れと言われない。誰にも管理されない。完全に自由になったはずでした。なのに、何もできなかったんです。自由になった時間で何をすればいいのか、自分でもまったく分からなかった。

あのときの感覚は、今でもよく覚えています。自由とは選択肢が増えることだと思っていたのに、実際に増えたのは空白だけでした。空白を前にして固まってしまったのは、私が「決められたことをこなす」やり方しか持っていなかったからです。

考えてみれば、それまでの8年間、私は一度も自分で予定を作っていませんでした。練習メニューは決まっていて、大会の日程も決まっていて、目指す場所も決まっている。その中で全力を出すことは得意でしたが、目指す場所そのものを自分で決めた経験がなかったんです。

だから引退した瞬間、私は不自由から自由になったのではなく、与えられた不自由から、扱えない自由に放り出されただけでした。お金がなかったからでも、才能が足りなかったからでもありません。決める練習をしてこなかった、それだけの理由です。

自由は、手に入れた瞬間に使えるものではありません。決めた経験がない人にとって、空白はただの不安なんです。

不自由な人が無意識にやっている3つのこと

ここからは、私自身のその後や、相談を受けるなかで見えてきた共通点の話をします。不自由な状態が続いている人には、ほぼ例外なく共通してやっていることがあります。しかも本人にはまったく自覚がありません。

なぜ不自由な状態が固定されるのか

①決めることを「他人に渡す」のが習慣になっている。上司が言うから、家族が望むから、みんながそうしているから。渡した瞬間は楽になるが、渡した分だけ自分の一日は他人のものになっていく

②選択肢が「今見えているもの」だけだと思い込んでいる。今の職場を続けるか辞めるかの二択で悩み続けるように、目の前の二択の外側を探しにいかない

③小さな決定を軽く扱っている。今日の夕方をどう使うか、週末に何をするか。こうした小さな選択を「どうでもいいこと」として流し続けた結果、決める筋力そのものが落ちていく

この3つは、どれも一つひとつは大きな問題に見えません。だから見過ごされます。ところが積み重なると、驚くほど強力に人を固定します。

特に③は軽視されがちです。私たちはつい、人生を変えるのは大きな決断だと思い込んでいます。転職とか、独立とか、引っ越しとか。でも実際は逆で、大きな決断ができないのは、小さな決断を放棄し続けてきたからなんです。今日の1時間を自分で決められない人が、10年後の生き方だけを自分で決められるはずがありません。

私にも心当たりがあります。会社員時代、私は仕事そのものには本気で取り組んでいました。誰にも負けないつもりでやっていました。でも「自分の時間をどう使うか」については、ほとんど何も決めていなかったんです。仕事が終われば疲れて帰る、休みの日はなんとなく過ごす。決めていないという自覚すらありませんでした。

②についても補足させてください。人は悩んでいるとき、たいてい二択で悩んでいます。続けるか辞めるか、やるかやらないか。この二択の中で何ヶ月も行ったり来たりする。でも本当に必要なのは、二択のどちらかを選ぶことではなく、三つ目を探しにいくことだったりします。三つ目は最初から見えているものではなく、動いた人にだけ見えてくるものです。

3つとも当てはまっています。特に「小さな決定を軽く扱っている」は、言われて初めて気づきました。自分の時間なのに、自分で決めていませんでした。

お金と才能は自由そのものではなく、選択肢を買うための道具でしかない

自覚できたなら、それだけでもう半分は動き始めています。ここでもう一度、最初の話に戻ります。ではお金や才能は、まったく無関係なのかという話です。

結論から言えば、無関係ではありません。ただし、思っている役割とは違います。

A(不自由になりやすい捉え方)

お金や才能そのものが自由だと考える。だから「手に入るまでは自由になれない」という前提になり、手に入るまでの期間はずっと待ちの状態になる

B(自由に近づく捉え方)

お金や才能は選択肢を増やすための道具だと考える。だから「今ある分でどんな選択肢が作れるか」という問いに変わり、今日から動ける

同じものを見ているのに、捉え方ひとつでやることが正反対になります。前者は「増えるまで待つ人」になり、後者は「今ある分で試す人」になる。数年経てば、この差は取り返しがつかないほど開いていきます。

私は独立してから、収入が安定しない時期を経験しました。会社員のときより手取りが減った月もあります。それでも当時のほうが不自由だったかと言われると、はっきり違うと言えます。収入は減ったのに、自分で決められる範囲は明らかに広がっていたからです。逆に会社員時代は、毎月決まった額が入ってきていましたが、一日の中身は自分のものではありませんでした。

もちろん、お金が足りないことのしんどさは本物です。経済的な余裕がないと、選べる範囲が物理的に狭くなるのは事実です。私はそれを軽く見るつもりはありません。ただ、順番だけは間違えないでほしいんです。お金があるから自由になるのではなく、自分で決める練習をしてきた人が、お金を自由に変換できる。決め方を知らない人にお金だけ渡しても、選択肢は増えないんです。

才能についても同じことが言えます。才能があるように見える人は、たいてい「自分に向いていることを見つけるまで、試すのをやめなかった人」です。最初から向いていると分かっていたわけではありません。試した回数が多いから当たりを引いただけで、そこには選択肢を作る作業がちゃんとあります。

💡 補足

ちなみに、私は「才能がある人」を見るとき、能力そのものより試行回数を見るようにしています。同じ分野で長く続けている人は、外から見ると才能に見えますが、中身は積み重ねた試行の量であることがほとんどです。

自由人が持っているのは選択肢ではなく「選択肢を作る力」

ここまでの話を一本にまとめると、こうなります。自由人と不自由人を分けているのは、持っている選択肢の数ではありません。選択肢が足りないときに、自分で増やせるかどうかです。

自由と不自由の本当の分かれ道

不自由な人は、目の前にある選択肢の中から選ぼうとします。自由な人は、選びたい選択肢がなければ自分で作ります。差はここだけです。

この違いは、決断力の差ではありません。私は決断力という言葉があまり好きではないんです。まるで生まれつき備わっている性質のように聞こえるからです。実際は違います。選択肢を作る力は、完全に後天的なものです。

選択肢を作れる人になるために必要なこと

①情報ではなく体験を集める。調べただけでは選択肢は増えない。実際に触って初めて「これはできそう」「これは違う」という判断材料になり、そこから新しい選択肢が生まれる

②決めた結果より、決めた回数を評価する。正解を選べたかどうかで自分を採点すると、決めること自体が怖くなる。決めた回数を数えるようにすると、決める行為そのものが習慣になる

③やめる選択も持っておく。始めることだけが決断ではない。やめられる人は次を始められるので、結果的に選択肢が増え続けていく

私が実感しているのは、②の効果です。決めた結果を採点するのをやめてから、動くのがずいぶん楽になりました。うまくいったかどうかは相手や状況にも左右されますが、決めたかどうかは100パーセント自分の管轄です。自分の管轄の中だけで自分を評価すると、余計な落ち込みが減ります。

③についても触れておきます。私は陸上をやめた経験があるので、やめることの重さは分かっているつもりです。ただ、あのとき私を苦しめたのは、やめたこと自体ではありませんでした。次に何をするかを、自分で決められなかったことです。やめるのが怖いのは、その後に自分で決めた経験がないからなんです。逆に言えば、決める練習を積んでいる人にとって、やめることは終わりではなく次の選択肢を作る作業になります。

選択肢がないと感じるとき、本当にないことはほとんどありません。作り方をまだ知らないだけです。作り方は、今日から練習できます。

今日から選択肢を増やしていく3つのステップ

では、具体的に何から始めればいいのか。私が実際にやってきて効果があったのは、拍子抜けするほど地味なことでした。

01
一日の中に「自分で決めた30分」を作る内容は何でもいい。散歩でも読書でも構わない。大事なのは「誰にも頼まれていないことを、自分の意思でやった」という事実を毎日作ること
↓
02
悩んでいる二択に、三つ目を書き足す今の二択をノートに書き、その下に無理やりでいいので三つ目を書く。現実的である必要はない。二択の外側があると認識するだけで思考が動き出す
↓
03
週に一度、決めた回数を数えるうまくいったかは書かない。今週いくつ自分で決めたかだけを数える。数が増えていく感覚が、決める筋力を育てていく

順番には意味があります。02から始めようとすると、たいていうまくいきません。決める筋力がない状態で大きな二択に向き合うと、三つ目を書く前に疲れてしまうからです。まずは01で、誰にも影響を与えない小さな決定を毎日積むのが先です。

01については、内容の中身を気にしすぎないでください。立派なことをやる必要はまったくありません。私が最初にやったのは、朝に15分だけ本を読むことでした。仕事にも収入にも直結しません。それでも「今日これをやると自分で決めた」という事実だけは、確実に手元に残りました。

02は、慣れると面白くなってきます。「会社を続けるか辞めるか」で悩んでいたとして、三つ目に「続けながら別のことを小さく始める」と書いてみる。四つ目に「部署の異動を希望する」と書いてみる。書いてみると、自分がいかに二択の中だけで考えていたかが見えてきます。選択肢は、探すものではなく書き足すものなんです。

03の数える作業は、いちばん地味で、いちばん効きます。人は成果が出ない期間を「何もしていない期間」と勘違いしがちです。でも決めた回数を数えていると、成果はまだでも自分が確実に動いていることが目に見えます。私は今も、週末にその週で自分が決めたことを振り返る時間を取っています。

⚠️ 注意してほしいこと

最初から大きな決断で練習しないでください。転職や独立のような重い決定は、決める筋力がついていない状態で扱うと、決めることそのものが怖くなります。小さく、毎日、影響の少ないところから積むのが結局いちばん早いです。

会社員のままでも自由な人がいるのは、なぜなのか

最後に、よく聞かれることに答えておきます。「環境を変えないと自由になれないのでは」という質問です。

答えははっきりしていて、環境を変えなくても自由度は上げられます。実際、私のまわりには会社員のまま驚くほど自由に生きている人がいますし、逆に独立していても毎日追われている人がいます。この差はどこから来るのか。

決めている範囲の広さです。会社員という枠の中でも、決められることは思っているよりずっとたくさんあります。どの仕事を先にやるか、どこまで自分の裁量でやるか、就業後の時間を何に使うか、誰と付き合うか。この一つひとつを自分で決めている人は、枠の中にいても自由です。逆に独立していても、来た依頼を全部受けて予定が埋まっていくなら、それは会社員時代とやっていることが変わりません。

私が会社を辞めた頃ではなく、まだ会社にいた頃を振り返ると、夜間の学校に通っていた4年間はかなり自由でした。昼は会社、夜は授業という、時間だけ見れば最も窮屈な時期です。それでも自由に感じたのは、そこに通うと決めたのが自分だったからです。忙しさと不自由さは、まったく別のものなんです。

1
決められる範囲を数え直す
「変えられないこと」ばかり見ていると、選択肢はゼロに見える。今の立場でも決められることを紙に書き出すと、思っていたより多いことに気づく
2
断る基準を1つ持つ
すべてを引き受けている限り、予定は他人のもので埋まる。「これは受けない」という基準を1つ持つだけで、自分の時間が戻ってくる
3
誰と過ごすかを選ぶ
付き合う人は環境そのもの。決めて動く人の近くにいると決めることが普通になり、決めない人の近くにいると決めないことが普通になる

3つのうちどれか1つでいいので、今週のうちに試してみてください。全部やろうとすると重くなります。特に2つ目の「断る基準」は、効果が出るのが早いです。私自身、独立したての頃は来た話をすべて受けていて、気づいたら自分の時間がなくなっていました。基準を1つ決めてからは、同じ忙しさでも息苦しさがまったく違います。

自由度を上げる3つ、いくつできそうですか?

□ 一日の中に「自分で決めた30分」を作る → 内容は何でもいい、決めた事実だけを残す
□ 悩んでいる二択に三つ目を書き足す → 現実的でなくていい、外側があると気づくのが目的
□ 週に一度、決めた回数を数える → 結果は書かない、決めた数だけを数える

まとめ:自由と不自由を分けているのは、持ち物ではなく作り方

自由人と不自由人を分けているのは、お金でも才能でもありませんでした。分かれ目は、選択肢がないときに自分で作れるかどうかです。お金も才能も、選択肢を増やすための道具でしかなく、決め方を知らない人が持っても主導権は増えません。

やることはシンプルです。自分で決めた30分を毎日作り、悩んでいる二択に三つ目を書き足し、決めた回数を数える。環境を変えなくても、決める範囲を広げれば自由度は上がっていきます。

自由は、手に入れるものではなく、決めた回数だけ増えていくものです。

今日ひとつでいいので、誰にも頼まれていないことを自分の意思でやってみてください。その小さな一つが、あなたの選択肢を作る力を育ててくれます。

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